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そして、キャスト機器が順調に可動し始めた辺りでバブルが弾けて、そのアトリエも経営が悪化したみたいだったので、こそこそと辞めまして(※いや別に僕が勧めた訳では、ありませんがトータルで4000万円近い設備投資とかもしていたので…)独立して小さな加工場付きのショップを元部下達と一緒に始めた訳です。
で、独立してから営業とかしていると4〜5件の近隣の宝石店や宝飾卸の会社がお客さんに成ってくれ、業界に入った当初から知り合いだった会社とか個人の業者さんからも加工の仕事を貰いながら修理から始まりリフォームとオーダーメイドの仕事を一般から積極的に取り出した訳です。で、当時の僕には僕に似合わない優秀な部下がおりまして、その部下がデザインも得意だったので、その部下にデザインの多くを任せていました。
そして着実に業績も上げて行き、仕事量も扱う商品の単価も上がって来た頃に一つの事実に気が付いた訳で、その事実とは「太いお客さん(※高額商品を購入する人)ほど、お店の店主で有る僕と話(※商談)をしたがる」と言う事実でして、時にはうん百万円もする宝石を挟んでお客さんと対峙して、商売として話をまとめる必要に迫られたと言う訳です(※初期の頃は仕事のペース配分が出来ずに接客はなるべく部下に任せて加工の仕事に重きを置いていました)。
で、この辺りからですね。僕が必要に迫られてジュエリーデザインに真剣に取り組み出したのは、、なにせお店を経営していた間に例の阪神大震災とかも経験されられて、従業員も2〜3名いるし、外注の職人さんも2〜3人抱え、当時のパートナーだった宝石の輸入業者とか僕にしてみれば大勢の食い扶持を稼ぐ必要が有った訳で、僕が話を持っていく方向一つで数十万円から数百万円の仕事がふいに成ったりもする訳なので、そりゃ〜あ!誰だって真剣に成ると思います(※もちろん仕事としても面白かった…)。
また当時の僕の感覚として「鉄は熱いうちに打て」みたいなフィーリングを持っており、お客さんが手持ちの宝石とかを持ってきたら「その場でデザインから見積もりまで決めて返事をもらう」と言う作戦?に出た訳です。もちろん正式なデザイン画を短時間で描く事は出来ないので、ラフスケッチだけでの商談と成るのですが、実はこれ「カウンターデザイン」と言ってGIAにて僕が訓練された手法で有りまして、僕自身のデザインスタイルともマッチしていたみたいで、普通の人が聞いたら卒倒する様な価格のジュエリーの商談を1時間位でまとめたりもしてました(※最盛期には簡単な彩色をしたデザイン画にまで発展しまして、それを見たインド人の宝石商が「ラブレターみたいなデザイン画やね!」なんて言ってましたが、証拠の品が見つからない(笑))。
しかしご多忙に漏れずに「幸せ?は長く続かないもので(笑)」身内の不幸とかが重なって残った人間関係の軋轢から極度の人間不信とかに陥った僕は、自暴自棄に成り散財し、お店を潰してしまったのですが、今になって思えば「アレはアレでモノを作る人間としては良い経験が出来たな」なんて思います。で、その後に1年6ヶ月位のブランク(※まったく宝飾とは関係の無い会社にて働いてましたが、これも別の社会を知る良い経験でした)を経て彫金教室を始めた訳ですが、当初は生徒も集まる訳も無く教室のカリキュラムが確立し安定した収入を得られる様に成るまでの間は販売や加工などの仕事に頼らないと決めていましたので、資金的に行き詰まり平行して別のバイトとかも1年位はやってました。
そして教室を初めて6年以上に成るのですが、これまでの間に出会った生徒や関係者から得られた様々な交流なども現時点での僕を形成する一つの要因だと思えますし、もしあのまま高額商品を多く扱うワークショップの店主だったら、今現在僕自身が持っている能力(※始点と終点を線で繋ぎ経過に於いて線を変化させつつも終点の本質は変わらない創作手法)は身に付かなかったと思えます。そしてこの辺りが、モノを作っている人間の度し難い所で、結局の所、周りの人達が「駄目だこりゃ!」とか言う状況に陥ったとしても結果、最終的に以前の自分より現在の自分がベターなモノをデザインしたり作ったり出来る様に成っていれば、自分的にはオールオッケー!だったりもするのです(やれやれ)。
と言う訳で、こんな私がジュエリーデザインとかもしている訳ですが(笑)お次は他のジュエリーデザイナーのキャリアとか業界的なジュエリーデザイナーの実際(※立ち位置?)なんてモノを書いてみたいと思っております。
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